2024/10/28 12:40

           


 朝、桜の木を見ました。
 
 大きな公園に佇む、桜の木。近隣の方なら誰もが知っている、風車がシンボルの公園。
 野球場が3つと、多目的のグラウンドが2つ、テニスコートが3面、音楽ホールが1つと、町の形をした池が1つ。池のすぐそばには風車があり、公園全体を巡るように、ランニングコースが用意されています。
 松伏町が音楽で名を馳せるようになったのは、この公園にある音楽ホールがきっかけだったと聞きました。町のマスコットキャラクターは、風車の形をしています。池では釣竿を手にする人が幾名、グラウンドでは地元のスポーツチームが試合をしています。
 そんな中で、桜の木を見ました。

 私の実家では毎年、この公園にある桜の下でお花見をするのが、春の恒例行事でした。ご近所さんと一緒にブルーシートを広げて、お弁当に目を輝かせていました。料理上手の母が振る舞うお弁当をお腹いっぱい食べ、満足したら公園を駆け回る。絵に描いたような、田舎のお花見です。
 我が家が決まってお花見をするのは、一本の大きな桜の木の下でした。高さはそこまでないのですが、大きく横に手を広げたような、宙に浮いた富士山のような形をしています。あるいは特別な思い入れがあるかもしれませんが、この桜の木の幹は、他のどの桜の木より黒々としていて、貫禄を感じさせる色をしています。桜の根によって地面は隆起し、木の幹は目線の高さあたりに大きな穴が2つ空いています。
 毎朝お店へ向かうのに、この桜の木の近くをすぐ通ります。車だったり原付だったりしますが、ほぼ毎日同じルートを辿ります。思い出の詰まった桜の木を、今日、久しぶりに見かけました。曇り空の下、黒々とした桜の木は、ただひっそりと佇んでいました。ソメイヨシノ。

 ソメイヨシノは、接ぎ木によって植えられた、いわばクローンなのだそうです。遺伝子が同じだから、一斉に咲き、一斉に散っていく。儚くも趣があり、故に季節を象徴している気がします。ソメイヨシノは原生種ではなく、2つの異なる桜を交配させてできた品種。厳密な意味において、日本古来のものではないにも拘らず、ソメイヨシノが愛され、これほどまでに繁栄しているのは、その美しさに理由があると思います。桜は散り、梅はこぼれ、椿は落つ。桜の散る姿を見て、儚い、と感じるのは、日本人(あるいは日本語)特有の感性なのでしょうか。

 原生種には原生種なりの美しさがあり、交配種には交配種なりの美しさがある。これはどんなことにだって言えるはずです。ソメイヨシノのように、原生種かと思うくらい長く存在する交配種だって存在します。要は、好みの問題です。

 そろそろちゃんとコーヒーの話をしましょう。

 昨今脚光を浴び続けているゲイシャ。ゲイシャが高価でも人気なのは、希少で栽培が難しいにも拘らず、素晴らしい味わいを持っているからです。希少性と味わいのダブルパンチです。エチオピアのゲシャ村にルーツを持つ原生種で、品種改良等の施しをしていないため、栽培が非常に難しいです。それでも、圧倒的なフレーバーがある。厳密に言えば、ゲイシャならなんでもいいわけではなくて、ゲイシャに合った土壌というものが存在し、ちゃんとゲイシャに合った環境で育てられれば美味しい、という話なのですが、幾分長くなりそうなので、割愛します。
 このようなバックグラウンドがあると知っているからこそ、ゲイシャに高値がつけられていても、さほど驚かないわけです。貴重だし美味しいから、そりゃ高くもなるよね、といった具合です。

 ただ世の中には、希少であるというだけで高価な値が付けられているものもあります。希少であることに価値を見出しているのなら問題ないのですが、高価であるということが、品質の高さを直接示しているわけではないよと言いたいんです。大谷翔平が50-50を達成した時のホームランボールが6億3700万円で落札されたのは、その希少性に価値を感じる人が大勢いたからであり、品質という側面においてのみ考えれば、ただの野球ボールなわけです。じゃあただの野球ボールにこれだけの高値が付いているのは馬鹿馬鹿しいかと言われると、そういうわけでもないです。私でも分かります。大谷翔平の50-50達成がすごいことも、そのホームランボールが貴重なことも、分かります。どうしてこれだけ高いのか、という理由が分かっていれば問題ないです。問題は、理由の分からない、高価なものです。

 私も職業柄といいますか、まぁそれなりにコーヒー屋さんへ足を運ぶことがあります。小さなお店が多いですが、あまりジャンルは問わず、ちゃんとコーヒーが飲めるお店を探して、入ります。もちろん、原価がどれくらいのものを扱っているかもなんとなく分かってしまうことがありますし、それを分かった上で注文します。ただちょっと引っかかることもあるわけです。
 1杯1,500円のコーヒーがあったとしましょう。ハンドドリップで抽出され、一般的なサイズのコーヒーカップに入れられる、一般的なコーヒーです。ドリップしている方は世界チャンピオンとかではなく、ごく一般的なコーヒー屋のマスター。ただし品種は、ゲイシャ。これは高いでしょうか。
 メニュー表に「ゲイシャ 1,500円」と書かれていたら、私なら注文しません。前述の通り、ゲイシャならなんでもいいわけではなく、いくつかの条件が組み合わさったゲイシャにのみ、お金を出す価値があるからです。「パナマ エスメラルダ農園 ゲイシャ 1,500円」と書かれていたなら、迷うことなく注文します。安いとすら思います。エスメラルダ農園のゲイシャでなかったにせよ、少なくとも農園の名前が入っていなければ、ちょっと疑いの目を持ってしまうわけです。ゲイシャって書けばなんでも高く売れると思っているのだろうか、とひねくれたりもしています。不透明だからこそ、これは理由の分からない、高価なもの、という扱いになってしまいます。

 希少性と品質、いずれも一定以上の理解がなければ成立しないというのがまた厄介です。
 私のお店では、かなり品質の良いお豆を扱っているつもりですが、初めてのお客様にはあまり理解していただけないことも大いにあります。高いね、なんてストレートな感想を頂くこともあります。ただ、飲めばわかるというのを私自身が誰より理解しているので、自信を持ってドリップしています。味に値段をつけるのは難しいですが、飲み終わってから、これでこの金額なら安すぎる、と思っていただけるよう、日々精進しています。

 ブレンドだろうがシングルオリジンだろうが、原生種だろうが交配種だろうが、美しく品質の良いものに魅了されるという人間の本質は変わらないはずです。魅了されて初めて価値に気づく人も大勢います。そんな時は、有無を言わさぬ圧倒的な魅力を見せつけたいなと思うわけです。

 ソメイヨシノ。