2024/11/10 16:01
爪。
気づいたら、伸びてませんか。
毎日、もっと言えば、毎秒。ほんの少しずつ、おそらくは一定のペースで伸び続けているはずなのですが、ある時突然思うんです。あれ、爪伸びてる、って。
こうなったら気になってしょうがないですし、第一気づいた頃にはもう切らなきゃいけない長さまで、伸びてるんです。不思議でなりません。
月に数回しか開かない引き出しから爪切りを取り出し、ちょうど良い長さに切り揃える。月にせいぜい2回くらいのものですが、私は人生で何度爪を切り、それらをつなぎ合わせたら、果たしてどれくらいの長さになるのでしょうか。
私は爪を参考に、自分の心の余裕みたいなものを推し量ることがあります。
爪や指先のコンディションが悪い時は、大抵自分にゆとりがなくなっています。気づいたらかなり爪が伸びているなんて時は、きっと何かに追われるような毎日を送っているんだと思います。
それに私は、爪を磨くのも好きなんです。爪を丁寧に切り揃え、角ができないようやすりで削り、爪磨き(マツモトキヨシで購入した、直方体の爪磨きです)を使って表面を磨く。磨き終わったら入念に手を洗って、ハンドクリームを使って手と爪の保湿。爪を切り始めてから最後の保湿まで、両手を合わせると実に30分もの時間がかかります。
たかが爪といえばそれまでですが、手入れされた爪はなんとなく気分が良いものです。
この、なんとなく気分がいい、を作るためだけに30分かけて爪の手入れができている時、私は心にゆとりがあるんだと思います。逆説的に、爪の手入れが行き届いていない時は、きっと心にもゆとりがないんです。
30分もかけて爪を磨くのは結構面倒ですし、別に強制されたことでもない。心にゆとりがないと、ハンドクリームを塗る頻度も何故か減っているので、指先が全体的に荒れています。厳密にいえば、荒れていることにすら気づかないんです。指先の小さな変化ですが、私はこうして自分の状況を確認することがあります。ああ、確かに余裕なかったかも、とか、最近暇なのかも、とか、色々です。侮ることなかれ。これが結構当たります。騙されたと思って、やってみてください(これを読んでいる方のうち何名かは、すでに自分の爪を爪を見分したことかと思いますが、改めて)。
閑話休題。
能ある鷹は爪を隠す
座右の銘というとおこがましいですが、人生で大切にしている価値観の一つです。
本当に実力のある人は、自らの武器を懐に隠し持っているものだと思っているので、武器を大っぴらに出して堂々と振る舞っている人を見かけると、私の中での評価は少し下がってしまいます(本当に実力のある人だとしても、です)。虎の威を借る狐的で、俺は虎だぞ!と言いながら拳を高く突き上げている人は、ビビリで弱々しく見えてしまいます。本当の実力者は、爪を隠すものなんです。
だからこそ、本当の実力者が隠し持つ爪を見つけたときは、この上ない幸福感に包まれます。しれっとすごいことをしているのってかっこいいと思ってしまいますし、そんな隠された実力を見つけてしまった日には、尊敬と畏怖の目を向けてしまいます。多くは語らず、圧倒的な実力のみを使って、自らを証明する。素晴らしいです。何をどうしたらこうなっているのか、どういう思考回路で何を考えているのか。とにかくよく観察して、或いはしつこく質問を繰り返して、ほんの一部でもその能力を自分のものにできないかと試行錯誤します。何か一つでも学びが得られれば上出来ですし、学びはなくても素敵な経験にはなります。
ただこの、能ある鷹の爪を見つけるには、どうしてもゆとりが必要です。
自分に余裕がない時、偶然能ある鷹に遭遇しても、自分にゆとりがないと中々気付けないものです。或いは気づいたとしても、あんなのまぐれでしょ、とか都合の良い解釈をして、その存在を無かったことにしてしまいます。受験勉強中、友人の成績が上がったことに喜べない、なんとも言えない、あの自己中心的な感覚に近いものを感じます。そしてゆとりが極限までなくなると、人は攻撃的になり、能ない鷹が爪を見せびらかす、的な行動をとってしまうのだと思います。或いは極論に近い考え方かもしれませんが、実際に私はこの解釈のもと、自分の機嫌をコントロールしようと試みています。人の良いところを見つけられなくなったら、人間お終いです。
私は爪をよく見ます。
自分の爪も、他人の爪も。
美しく品のある爪を隠し持つため、私は心のゆとりを大切にしています。
ほんの少しの贅沢をする。ちょっと早く寝てみる。わがままを言える恋人や友人に会ってみる。美味しいコーヒーを、自分のために淹れてみる。
どれも些細なことですが、ゆとりを生み出すのに大切なことです。
ちょっと贅沢したい。そんな時私は、最高に美味しいゲイシャを選びます。
皆様もいかがでしょう。
きっと日常に、爪痕を残してくれます。