2024/11/29 17:45

年末を感じさせる言葉の一つです。
師走。
忙しない年末の空気を、如実に表している気がします。
師走。
僧侶である「師」が、年末の仏名会などの法要で各寺院を走り回ることに由来する説があるそうです。
師走。
毎日が、金曜日の夕方のようです。
金曜日の夕方に忙しさを覚えるようになったのは、きっと大人になってからだと思います。子どもの頃の金曜日の夕方は、週末に向けた助走を始めるタイミングで、私は給食を食べ終えた瞬間から、土曜日が始まったような感覚を抱いていました。午後の授業が終わればあとは下校するのみ。ちょっと夜更かししてゲームをしちゃおうかなと、子どもの大罪を企てたりしていました。
夜中のゲームは罪なりや、 DSを布団の中でこっそり途中まで開き、自らの息で画面を曇らせながら、目を輝かせます。狭く暗い布団の中でしたが、当時の私にとっては(いえ、おそらく同年代の誰もがそうであったように)、まるで夢のような世界だったことは、言うまでもありません。
年末にしたってそうです。
子どもにとっての年末は、クリスマスとお年玉、そして少しの休暇を得られる、特別なシーズンなのです。用意された非日常に乗り込み、ただゆらゆらと夢うつつに過ごしているだけで、本当に幸せな気分でした。師走。金曜日の夕方。黄昏時とはよく言ったもので、ただ黄昏ているだけで幸せな気分になれる、そんな季節です。
大人になってからというものの、金曜日は一週間分の皺寄せを処理する忙しい曜日へと変わり、今日は定時に帰れるのかしら、まぁ帰れなくても明日休みだし残業しちゃおうかな、なんて考えるようになってしまいます。週末のご褒美感は子どもの頃と変わらないのに、休みを得る代償を、金曜日に受けるようになりました。
それが年末ともなれば尚更です。一週間分の皺寄せが金曜日に来るように、一年分の皺寄せが、年末にやってきます。まさに、師走。年末年始は楽しみですが、自らを癒すので精一杯なのは目に見えていますし、年末の段階ですでに仕事始めが憂鬱になる。何も考えずに休もう、なんて思ってみるのですが、何も考えずに、と思っている間は何か考えてしまっているわけで、無意識という意識を持っているうちは、まだまだ気が休まらないということが、往々にして、あります。
休まらない気を休ませるには、大きく分けて二つの方法があります(もちろん、これは私の持論なわけですが)。
呼吸が乱れるほど楽しいことをするか、至極穏やかな深呼吸をするかです。
私は性格的に、呼吸を乱すことがあまり得意ではありません。比喩的にも、物理的にも。疲れを癒すには、穏やかで豊かな時間を過ごすことです。
まぁ例によってコーヒーが絡んでくるわけですが、鮮やかでジューシーな、はじけるタイプのコーヒーは、どちらかというと、息が上がるというか、テンションは上がるのですが、同時に疲労も蓄積する感じがするんです。これは間違いなく個人的な意見であり、異なる意見の方もたくさんいらっしゃるかとは思うのですが、特徴が前面に出ているコーヒーは、楽しむのになんとなく体力を使う気がします。深煎りも同様で、美味しくはあるのですが、なんとなく体力を使います。一口飲むたびに感嘆の声をあげたくなる、感動しすぎるコーヒーは、どこかディズニーランド的というか、とにかく体力を使ってしまいます(もちろん良い意味で)。
師走のこの時期、私が求めるのは、大きな感動を与えないコーヒーです。
穏やかな深呼吸を自然に促す、無意識を創り出せるような、そんなコーヒーです。
言語化するのはとても難しく、もうこればっかりは飲んでみてほしい、としか言えないのですが、飲み終わってから、あれ、そういえば美味しかったな、と後から気付かされるようなコーヒーです。
昔から、憧れているんです。主役ではなく、名脇役に。社長ではなく、優秀な秘書に。芸能人ではなく、マネージャーに。舞台役者ではなく、照明に。憧れています。
陰ながら何かを照らし、誰にも気づかれない、それでも気づく人は気づく、そんな存在。
師走。
文字通り、駆け抜ける方が多いでしょう。
束の間の休息を、陰ながら支えるコーヒーをご用意します。
12月はブレンドではなく、シングルオリジン。ホンジュラス コマヤグア エル・ロブラル農園 カトゥアイ ウォッシュド。
名脇役の、登場です。