2025/01/02 23:42

 

 新年です。お正月。

 年々お正月らしさが無くなっている気がします。お年玉が貰えなくなり、親戚の集まりも特別感がなくなり、大掃除を終えた今、ほとんどやることがありません。世間では初売りセールなるものが盛んに行われていますが、元来人混みが苦手な私は、ネットで買い物を済ませようとしてしまいます。外に出なければ、お正月はただの休みとなってしまい、休みだからという理由で集められた小説を片っ端から読み耽るだけの、ごく普通の長期休みへと格下げされてしまいます。昨今テレビも見なくなったので、正月番組とやらを見ることもありません。お正月を感じるのは、やけに整理された街路樹と、近所で見覚えのないファミリーカーが停まっているのを見かけた時だけです。

 明けましておめでとう、とお互い挨拶のように言葉を交わし、幾名かの友人らと初詣へ出向き、お賽銭とおみくじに列をなす。近くのファミリーレストランで食事を取りながら、ひとしきり近況報告をし終えれば早めの時間に解散し、早めの入浴と夕食。翌日何があるわけでもないのですが、なんとなくいつもよりちょっと早く布団に入り、ダラダラと過ごして深夜に就寝。親戚の集まりがあれば顔を出し、未だ美味しさのわからないお節料理を囲む。いくつになったんだ、仕事は順調か、などと毎年同じことを訊かれ、毎年似たような回答を繰り返す(人間、一年で大きく変わるなんてことはほとんどないわけで、大体において昨年話したことすら誰も覚えていないので、律儀にも過去三年分くらいの近況報告を毎年することになります)。昔は待ち遠しかったお正月も、この歳になるともう特別な行事でもなくなってきます。あるいはもう少し歳を取ればその意義に気づくことができるのかもしれませんが、少なくとも今の私にとってのお正月は、久々にみんなに会える長期休み、くらいの意味合いしか残っていません。

 それに私は、明けましておめでとう、という言葉が、どうも苦手です。
 今年に入ってからも、例年通り多くの友人らからこの言葉をかけられるわけですが、どこかむず痒く、どこか居心地の悪い気分になることがあります。
 少なくとも私は、明けましておめでとう、という言葉を自分から使うことはありません。これは、お正月なんてどこがめでたいんだ、という斜に構えた発想からくるものではなく、単純に、相手が喪中かもしれないと思うと、おめでとう、なんて言えないからです。考えすぎなのはわかっていますが、どうしても気になってしまいます。これは昔、私が親しくしていた方が、喪中にも拘らず多くの友人から、明けましておめでとう、と声をかけられてしまい、戸惑い、そしてその度に身内の不在を痛感させられ、新年そのものが憂鬱になってしまう姿を隣で見てきたからだと思います。私自身の経験ではありませんが、それ以降、気軽におめでとうとは言えなくなりました。
 とはいえ、明けましておめでとう、という言葉を否定しているわけではなく、明けましておめでとう、と声をかけてくれた友人らに対する攻撃でもありません(みんなありがとう今年もよろしくね)。

 ただ、おそらく私のお正月には、明けましておめでとう、という言葉そのものが少なく、故にお正月を感じられる機会も少ないのだと思います。自分のせいですが、これは事実です。
 ほとんど外へ出ず、テレビも観ず、明けましておめでとうも言わない。そんなお正月を過ごしています。

 お正月って、もっとワクワクするものなはずです。少なくとも昔はワクワクしていたので、ワクワクしなくなっている現状が、少し残念に思えてきます。
 ちょっとくらいお正月らしいことをしたいなと、遅ればせながらそう思っています。

 さて本題。

 ほとんど思いつきのようなものですが、福袋をご用意します。

 オンライン限定で、中身はコーヒー豆が400gと、ドリップバッグが10個。お豆の状態はお選びいただけます(お豆のままか、粉に挽くか)が、銘柄の指定はできません。運試しだと思って買っていただきたいですが、このブログを読んでくださった方にはちょっとだけおまけを。購入時に、購入者よりメッセージ、というものを書くことができます。このメッセージ欄で、皆様が今年、お正月を感じた瞬間を教えてください。なんでもいいです。どんな些細なことでも大丈夫です。お正月のお裾分けを、是非私に頂けると嬉しいです。お正月のお裾分けをしてくださった方には特別に、400gのうち200gを、パプアニューギニア産のゲイシャにしてお送りします(残り200gは、独断と偏見で素敵なお豆を選びますので、お楽しみに)。
 期間は1月6日まで。ゲイシャの在庫数的にもそこまで大量にご用意できないので、福袋は先着5セット限定とさせていただきます。どうぞお早めに。
 福袋はこちらから


 今朝、スーパーカブに跨り、近所を少し走りました。
 遠くに見える田圃道で、子どもたちが凧揚げをしていました。
 一点の曇りもない晴れ空に揚がった凧を、しばらく眺めていました。