2025/01/08 15:59

 今年の年末年始は、福島にある母方の実家に帰省しました。
 おおよそ2年に1度くらいのペースでお正月は福島にいるわけですが、今年はちょっと様子が違いました。

 居間にあるテレビの調子が悪く、フジテレビしか映らなかったんです(尤も、フジテレビも辛うじて映る程度で、番組の筋は半分くらいしか理解できませんでしたが)。毎年我が家では、年末年始は紅白歌合戦を観て、年越しそばを食べながらジャニーズカウントダウン、その後は初日の出に備えてすぐ就寝、というのが恒例であり、紅白の無い年越しは、おそらく生まれて初めてのことでした。
 さらに大泉洋の大ファンである私にとって、ここ数年の紅白歌合戦は特に一大イベントであり、1秒たりとも画面から目を離せない番組でもありました。曲と曲の間で大泉さんが口を開く、その瞬間を何よりも楽しみにしていました。ちょっと変わった楽しみ方であることは理解していますが、実際私は紅白歌合戦という番組そのものを楽しみに、年末の繁忙期を乗り切って来たと言っても過言では無いでしょう。
 今年の司会は(残念ながら)大泉さんではなかったわけですが、そもそも紅白歌合戦を観るというのは我が家の文化として確立されていて、それが無いとなると、途端に何をしたら良いのかわからなくなりました。テレビをつけても調子の悪いフジテレビしか映らない。スマホで一応紅白の生放送は見られるけど、家族で見るには小さすぎる。年越しそばを食べるにしても時間が早すぎる。なんとなくダラダラと目の前にあるお寿司とつまみを行ったり来たりして、満腹になればちびちびとお酒を舐める。そうこうしているうちに気づけば年越しまであと数分。慌てて蕎麦を茹で、年越しそばの用意。時間はあったはずなのに、なぜかバタバタと年内最後の行事を済ませ、なんだか煮え切らないままに年越し。こんなに締まりのない年末は、初めてでした。

 ここ数年(大泉さんが司会を務めてきた年)を除き、私は紅白歌合戦に対して何か思い入れを抱いていることはありませんでした。年末になれば父がNHKにチャンネルを変え、皆ですき焼きを囲みながら、この人歌上手いね、こんな人いたんだ、なんて話をしながら紅白を眺めるだけ。私がまだ小さかった頃は、友達との間で、ガキ使派 v.s. 紅白派、みたいな戦いが繰り広げられていましたが、当時の私は、ガキ使が見たいけど年末は紅白って決まってるから紅白を見ている派、というなんとも煮え切らない立場をとっていました。3学期の初め頃は、クラスの話題といえばガキ使の面白かったシーンについてであり、今年の天童よしみの衣装すごかったよね、なんて話をする小学生はいないわけですから(幸子デラックスについても同じく)、ちょっとだけ寂しさを覚えていたのも事実です。要するに、紅白は見ていたけれど、特に見たくて見ていたわけではない、ということです。

 ただそんな紅白歌合戦ですが、見られないとなると、なんとなくムズムズします。別に紅白を見たいわけでもないけれど、見ていないと落ち着かない。依存症とはちょっと違う気がしますが、似たような現象ではあると思います。現に私はムズムズしすぎて、危うく年越しそばを食べ損ねるところでした。長年かけて作られた文化は、そう簡単に崩れないということです。

 年末になれば紅白を見る。これは我が家の文化です。絶対紅白を見ないといけないなんてことは当然ありませんが、無いとなるとちょっとムズムズする。特に今年は、見ようと思っても見られないという状況でもあったので、余計にムズムズしたんだと思います。紅白歌合戦依存症。
 そして私にとって大きな問題がもう一つ。母方の実家に帰省しているこの数日間、まともにコーヒーを飲めなかったんです。珈琲屋を始めてから今まで、こんなに長いことコーヒーから離れたのは初めてでした。普段はお店でコーヒーを大量に摂取するので、家に帰ってまでコーヒーを飲むことはあまりありません。もちろんお店で飲んだ方が器具も揃っていますし、自宅よりは気軽にコーヒーを淹れられるという理由もあります。だから今回の帰省においても、自宅でコーヒーを飲む文化のない私は、コーヒーの道具を持っていこうとは考えず、手ぶらで年末年始を迎えることとなってしまいました。12月30日から1月1日までの3日間、私はコーヒー抜きを強いられたわけですが、これは日に日にしんどくなり、別に飲まなくても死ぬわけではないのですが、美味しいコーヒーを飲みたくなってくるんです(これは完全に依存症ですね)。機嫌が悪くなるとか、体調が崩れるとかそう言ったことはもちろんないのですが、気持ちとしてコーヒーが恋しくなってきます。結果、福島から自宅に帰ってきた元旦の夜、焙煎の予定を前倒ししてお店に向かい、コーヒー豆を焙煎しながらコーヒーを飲む、ということになりました。
 ここまでの依存症は珍しく、あるいはこんなことにはならないほうが良いとすら思うのですが、今回の帰省で気づいたことがありました。

 ドリップバッグさえあれば。