2025/02/04 15:08

 
 1911年、春。

 5年間に及ぶ洗濯船での共同生活を終えたパブロ・ピカソは、晴れ渡る空に目を細めながら、パリ郊外、セーヌ川に程近いマーケットを闊歩していました。アトリエに飾るバラの花を求め、春の陽気の中、久々の外出です。
 花の蕾が持つ独特の香りが街を彩り、気づけば深呼吸を繰り返す。マーケット特有のざわめきと雑踏を、柔らかで湿気を帯びた空気が揺れ動かします。
 世界が明るく見えるのは、天気のせいだけではないでしょう。

------------------------------------

 10年前。
 スペインのバルセロナからフランスのパリへと活動拠点を移したピカソは、目の前に広がるパリの鮮やかな景色と裏腹に、暗く陰鬱な生活を送っていました。
 一緒にフランスへとやってきた親友カサヘマスの死と、自らの生活の困窮。カサヘマスの死因が拳銃自殺であったこと、彼をフランスへと連れてきたのが、他でもないピカソ本人の強い希望であったことも、大いに負担となったでしょう。彼のアトリエは青一色で埋め尽くされ、貧しさや人の生死をモチーフとする作品が数多く誕生します。のちに「青の時代」と呼ばれるこの3年間は、彼自身の人生観そのものを垣間見ることができ、長きにわたって活躍したパブロ・ピカソという人間を、最もわかりやすく表現した時代であるとも言えるでしょう。作品自体が持つ陰惨とした空気やモチーフの選択、そして彼の経済的状況など、いずれも分かりやすい一貫性があります。
 近年の研究により、名作「老いたギター弾き」の裏側には別の絵画が存在することが確認されました。これはピカソからのメッセージであるとする説も一部では囁かれていますが、一般の解釈としては、彼の経済的状況によるもの、つまりカンヴァスを買うだけの余力がなかっただけであるとする説が有力となっています。

 5年前。
 当時洗濯船で共同制作を行なっていたジョルジュ・ブラックと共に、幾何学的な絵画の制作を始めます。それまでヨーロッパで培われてきた写実的な技法の一切を無視し、平面上に描きたいものを描く。遠近法も筆致も、好きなように好きなものを描くことをベースに、近年定着してきた印象派のアイデアを上乗せする。さらにアフリカ美術に見られる平面性や、その背景にあるストーリー性を複合し、ピカソは一枚の絵として表現しようとしたのです。様々な時代の技法を応用し、謂わば美術の総合を試みたのです。
 また彼は、晩年のポール・セザンヌにも影響を受けます。
 セザンヌの描く作品は、一見すると写実と印象の中立的な立場にも見られますが、そのほとんどが印象であり、細かな描写において、物理法則や美術基礎などが完全に無視されています。見たものを感じたままに、そして感じたものを感じさせたいままに描く。一点から見つめるだけでは描けないその特徴的な描写方法は、のちのキュビズムに大きな影響を及ぼしたとされています。複数の視点を持ち、複数の視点を一枚の絵に収める。物事の表裏を同時に表現するこの技法は、ピカソの目指す、ストーリー性のある作品作りに大いに役立ちました。

 4年前。
 ピカソは名作、「アヴィニョンの娘たち」を完成させます。
 キュビズムを世界的に有名にした作品とも言えるでしょう。写実や印象を超えたこの作品は、初期キュビズム時代を代表する作品となり、ピカソの知名度も同時に押し上げる要因となりました。発表当時、あまりに奇怪なこの作風は酷評されたと言いますが、間違いなく時代の転換点に「アヴィニョンの娘たち」は存在し、のちのピカソの評価を決定づけるものともなりました。転換点を生み出した彼のキュビズムは、突飛な発想でも独創的なアイデアでもなく、過去の積み重ねによる産物だったというわけです。
 青の時代での陰惨な作風、その後恋人ができたことをきっかけに明るい画風へ、そして洗濯船での仲間との出会い、セザンヌの存在、そしてピカソ自身の強い想い、全てが重なった結果、パブロ・ピカソは巨匠と呼ばれる絵描きへと成長していきます。

------------------------------------

 マーケットの中腹に差し掛かりました。
 目的の花屋が見えてきます。目深に被っていた帽子を取り、いつも親しげに話をしてくれる花屋の店主へ挨拶の心づもりをしたその時、見知らぬ女性に話しかけられます。
 「あの、パブロさんでしょうか?」
 見たところ年齢は40代後半。裕福とはいかないまでも、生活に困窮するほどではないであろう、ごくありふれた婦人です。
 「ええ、そうですけれども。すみません、どこかでお会いしましたでしょうか。」
 「いえ、お会いしたのは今日が初めてです。実はあなたの絵の大ファンなのです。一度、握手だけでも。」
 納得したピカソはそっと手を差し出し、力の均衡の取れていない握手を交わします。
 「ちょっと待ってください。」
 唐突に婦人は持っていた手提げを探り、小さな紙切れと1本のペンを取り出します。
 「不躾なお願いであることは承知しておりますが、こちらに何か、絵を描いていただけないでしょうか。」
 ピカソは一瞬戸惑いましたが、紙とペンを差し出す婦人の手を見て何かを悟り、さらさらと軽快に絵を描き始めます。
 下書きや構図割りもせず、一本のペンで描き上げる。ものの30秒ほどで絵は描き終わりました。
 描き終わった作品とペンを返すと、婦人は震える手でそれら受け取り、深々とお礼をします。
 「ありがとうございます。それでこちらの作品、いくらで譲っていただけますでしょうか。」
 「そうですね。100万ドルでいかがでしょう。」
 婦人は動揺し、ピカソに詰め寄ります。
 「パブロさん、待ってください。この絵を完成させるのに、たった30秒しかかかっていないじゃないですか。それなのに100万ドルなんて、、、。」
 ピカソは優しく笑い、答えます。
 「30年と、30秒ですよ。」

------------------------------------

 私の好きな逸話に、ちょっとだけ脚色を加えてみました。本筋は変わりませんが、少しだけ理解はしやすくなったでしょう。

 要するに、ものの値段は、目に見えない努力や経験の積み重ねによって決まることもあるよね、という話です。珈琲屋をやっていると、高くない?と言われることも結構あります。うちで出しているコーヒーは、1杯500~1,000円。650円くらいでお出しするものが最も多く、確かにコンビニコーヒーなんかと比べるとかなり高額に見えてしまうのもわかります。

 コーヒー自体の価格が世界的に上がっていることは、もちろん要因の一つとして考えられます。コーヒー農園で働く人々の賃金向上や、環境整備など、生産者の生活を守るためにかかっているお金が、たくさんあります。これは致し方なく、むしろ積極的に払っていきたいとすら思っています。原価率は上がってしまいますが、小さなお店ながらもコーヒーに携わる人間の一人として、何か恩返しをしたいと考えています。
 原価の高騰。こればかりは逆らえませんし、逆らうべきでもないと思います。

 そしてもう一つ、目に見えないコスト(=価値)があります。
 店頭でドリップするという価値や、私がハンドドリップに費やしてきた時間という価値、空間、設備など、目に見えないコストは、ほとんど無限に存在します。
 価格設定で困るのは、この、目に見えないコストです。
 書き始めると長くなりそうなので、ハンドドリップの価値に絞りましょう。

 私は私なりに、自分のハンドドリップに責任をと誇りを持っています。月替わりのコーヒーは数えきれないほど焙煎とドリップをやり直してから店頭に並べますし、自分が納得する味になるまで、とことん追求します。ドリップコーヒー以外についても同様のことが言えますが、ハンドドリップに対する、謂わば執着のようなものは桁違いです。
 お客様にお出しする前のテイスティングはもちろん、毎日きちんと味の確認をして、必要があればレシピを微調整。用意はあるけど納得がいかないから出せない、なんてことも結構あります。時間をかけ、誰よりも真剣にコーヒーに向き合うからこそ、価格は少し高くしています。自信の表れと呼んで良いでしょう。
 私が専門とするのは、ハンドドリップです。ドリップコーヒーより明らかに原価のかかるラテは、650円で、ドリップコーヒーの価格と同じです。

 もちろん価格で判断することもあるでしょう。私自身も普段買い物なんかをしていて、価格で躊躇することもあります。
 ただ、自信の表れであるという評価も同時にしていただけると、珈琲屋の店主としてはとても嬉しいわけです。

 うちのコーヒーは、決して安くありません。

 安くないからこそ、私は誰よりも真剣で、誰よりも本気です。