2025/02/23 18:17

 

 背の高い薄口のグラスに、帰り道にコンビニで買ってきた、大きさの不揃いな氷を3粒。
 3つ目の氷は、首から上だけをグラスの外側に出し、氷に降りた霜がグラス全体をぼんやりと照らします。

 先端が小さなスプーンの形をしたマドラー(ちょうど、夏祭りでかき氷を買った時についてくる、カラフルで儚い、ストローを切り取って作られたスプーンと同じ形をしています)を、氷でいっぱいのグラスに差し込む。氷の間を縫うようにしてマドラーの先端をグラスの底まで届かせ、くるくると軽快に円を描く。マドラーに押された氷はグラス内でカラカラと音を立てながら回転し、グラス全体を急速に冷やします。

 グラスの内側には水滴が滴り、重力に従って底へ溜まる。グラスが冷え切ったのを確認し、グラスの底に溜まった氷水を捨てる。キンキンに冷えたグラスと、まだ少し顔を出している氷。先ほどまで降りていた氷の霜は色を失い、透明で汗をかいた氷がグラスを満たしています。
 マドラーを別のグラスに戻し、ウイスキーに手を伸ばす。国産の、少しさっぱりとしたウイスキー。ウイスキーが持つ特有の樽の香りは含みつつ、どこか軽やかで甘さを感じる、私のお気に入りです。ゆっくりと蓋を開け、グラスに積まれた氷の山へ、丁寧に注ぐ。琥珀色の液体は氷をつたっていき、カラン、という音と共に、氷の山が崩れる。穏やかな崩壊。ウイスキーと触れた氷は輪郭を失い、それはまるで透明な金色のヴェールに包まれた、何かを象徴するモニュメントのようにも見えます。

 マドラーを取り出し、再度氷をかき混ぜる。時計回りに、正確に3周。マドラーを抜いた後も慣性に従って回る氷を眺め、完全に静止したのを見届けてから、炭酸水に手を伸ばします。
 強炭酸、と書かれたペットボトルを開け、炭酸を逃さないようにそうっとグラスに注ぐ。炭酸水が氷と触れ、無数の泡が弾ける。万雷の拍手にも聞こえるこの音は、今日1日を乗り越えた自分を祝福してくれているようです。よく頑張ったぞ。すごい。偉いぞ。なんてね。どうもありがとう。炭酸水の、スタンディング・オベーション。
 グラスいっぱいに炭酸を注ぎきり、金色のグラデーションに魅了されながらも、迅速に最後の工程へ。

 再度マドラーを取り出し、慎重にグラスの底へと届かせる。炭酸が抜けないように、そうっと。
 息を止め、氷が崩れないように注意しながら、一番下の氷をゆっくりと持ち上げる。氷の嵩の分だけ液面が下がる。アルキメデス。緊張の瞬間。
 止めていた息を吐き出しながら持ち上げた氷を離し、一気にグラスの底へと沈ませる。緊張の緩和。氷がグラスの中で何度か上下し、ウイスキーと炭酸を混ぜ合わせる。いずれ彼らは境界を失い、液体全体をほんのりと色づかせます。

 完成。
 上がっていく口角を押さえつけながら、大きく一口。ごくり。飽き足らず、二口、三口。脳天に直接突き刺さるような樽の香りとアルコールが全身を弛緩させ、一日の終わりを実感します。お疲れ様、自分。一杯目はあっという間に飲み干し、二杯目はちびちびと時間をかけて。一日を締めくくるエンドロールは、いつだって規則正しく進行されていきます。

 我ながら頑張ったな、なんて日は、大抵ハイボールで一日を締めることになっています。ハイボールにハマった理由は明確で、好きなアーティストが飲んでいたから。ありきたりな理由ですが、ミーハーほど気楽に何かを始められることって、ほとんどないと思います。
 私はハイボールを飲むことが一つのご褒美であるわけですが、厳密に言うならば、ハイボールを作って飲むことが、ご褒美なんです。炭酸水を事前に作って冷やしておいたり、仰々しくマドラー専用のグラスを用意したり、わざわざ氷を買って帰ったり、これら全部が揃って初めて、私のご褒美は完成します。買ってきたハイボールをそのまま飲むのではダメなんです。きっとこれは性分みたいなもので、買ってきただけのものは、私の中でご褒美と呼ぶことができず、これはハイボールに限った話ではなく、何においても同様です。

 前職でちょっと大変な仕事を終えて帰る時には、決まってスーパーへ寄り、手の込んだご飯を作るための食材を買って帰るのが、私の中での恒例となっていました。美味しいご飯を外で食べるのもそれはそれで好きですが、ゼロから自分で作って、自分好みのご飯を食べることが何よりのご褒美であり、美味しい食事と自分自身に乾杯したくなるんです。金銭的に贅沢な食事が必ずしもご褒美であるとは限らず、自分でちょっと時間をかけて美味しいものを作るというのが、私にとってのご褒美です。

 コーヒーはいつだって、誰かのご褒美になるはずです。嫌々コーヒーを飲む人はいないでしょう。ちょっと早く起きた朝、天気の良い休日、おやつが待ち遠しい昼下がり、仕事を頑張った日の夕方、金曜の夜、何気ない瞬間。いつもよりちょっとだけ丁寧にコーヒーを淹れて、いつもよりかなり美味しいコーヒーが飲めたら、これは幸せなことだと思います。自分で美味しくコーヒーを淹れることができれば、今夜自分で淹れるコーヒーをモチベーションに、眠気と疲労で埋め尽くされた夕方を乗り越えられるはずです。

 贅沢じゃないご褒美。

 持っておいて損は無いでしょう。

 ドリップ講座、開きます。