2025/03/06 15:22

 

 小学生の頃、地元のサッカークラブに通っていました。

 毎週水曜日は19時から練習、休日はほとんどが試合であり、練習試合となれば1日に何試合もこなし、今思えば結構タフな生活を送っていました。
 群青色のユニフォームがトレードマークの我がチームは、スポーツ少年団(通称:スポ少)の御多分に洩れず、チームメイトの保護者が主体となって形成される、母集団と呼ばれる人達に支えられ、当番制でチームのサポートをしてくれていました。夏場の水分補給、練習試合への送迎、ちょっとした軽食の準備、グラウンドの予約など、選手達が快適にサッカーをプレーし、そして健康に過ごすことができるよう、細かな心遣いの詰まったサポートをしてくれていました。

 朝の水筒の準備に、ユニフォームの洗濯、お弁当の準備など、私の家族も献身的に支えてくれたことを覚えています。

 私には5歳上にしっかり者の姉が1人おり、私自身は生粋の末っ子気質であったため、そのわがままの数たるや、凄まじいものがありました。水筒は必ず2本用意し、1本にはスポーツドリンクを、もう1本にはキンキンに冷えた氷水を入れ、これとは別に凍らせたペットボトルも用意。砂まみれになったユニフォームの洗濯は両親に任せっきりでしたし、このインナーにはこのソックス、この練習着にはこのズボンと、およそ理由なんてないこだわりを見せ、おにぎりに至っては、梅干しは海苔を巻いておいてほしい、鮭おにぎりは海苔を後付けじゃなきゃ食べたくない(パリッとした食感が残るよう、丁寧に1枚ずつラップで包んで持たせてくれました)、混ぜ込みご飯はものによって海苔が必要だったり不要だったり、昆布おにぎりの時はお味噌汁も欲しい、中身が分からないと嫌だから見た目で分かるようにしてほしい、あんまり大きくても食べきれないから丁度いい大きさにしてほしいなど、とにかく注文の多い小学生でした。

 そのくせして試合に負けると機嫌が悪くなり、おにぎりの具が悪かったなんて母に言いがかりをつけ、本気で怒ったりもしていました。友達はみんなコンビニで買ってきた高級なおにぎりなのに、うちだけ手作りなのは貧乏みたいで嫌だと言ったこともありました。そんな時母は、手作りのおにぎりをコンビニ風に包み、少しでも私がコンビニのおにぎりを食べている風な気分を味わえるようにしてくれました(もちろん包装には中身が何なのかの説明書きがあり、幾つもある私の要望の全てを叶えるような作りになっていました)。今思えばなんて最低な発言で、なんて親不孝な息子だったのだと猛省するわけですが、当時私の両親は、私の要望に嫌な顔ひとつせず、文句を言った次の日には私の要望が全て叶えられたおにぎりを作ってくれていました。文句を言った翌朝、何もかもを忘れた私がリビングに向かうと、家族用のテーブルには私の要望の詰まったおにぎりが揃えられており、そこで私は自分の発した要望を思い出すわけですが、ありがとうの一言もなく、当然のような顔をして(あるいはそんな顔をするまでもなく)、夢の詰まったおにぎりを乱雑にリュックサックへ放り込むのでした。

 1日に何試合もこなす日は、大抵3~4チームが同じグラウンドに集まっており、うまい具合にローテーションを組みながら試合をし続けていました。2試合やって、1試合休憩。また2試合やって、1試合休憩。結局1日で6試合こなすこともざらにありました。凄まじい体力だなと我ながら感心してしまいますが、当時の私(或いは私たち)にとっては慣れきったスケジュールで、元気いっぱい、グラウンドを走り回っていました。
 1試合あたりおよそ30分。ローテーションの兼ね合いで、この30分が私たちに与えられた休憩時間でした。綿密な作戦会議や前の試合の振り返りなどをするわけではなく、最近出たゲームの話や、漫画のプレーの真似っこをしたり(反動蹴速迅砲の練習をして、何度も怪我をしては笑い合い、たまの成功を喜びあっていました)、学校の話、最近あった面白い話などを共有したりと、ただの小学生としての時間を過ごし、おしゃべりのお供にはいつだっておにぎりがありました。
 透明なラップに包まれたおにぎりを取り出し、その時の気分で順番に食べ進める。私は元来、好きなものは最後にとっておく主義なので、すじこやたらこ、お肉系の具材の入ったおにぎりは最後にとっておいていました。手作りのおにぎりは、なんだかんだ言っても私の楽しみになっており、タフなスケジュールをこなせたのも、両親の作るおにぎりがあってのことだと思います。ありがとう。

 両親は、私以上にタフだったのではとすら思います。
 我が家は共働きだったので、平日は両親共に仕事。たまの休日は全て私のサッカーに付き合い、朝からこだわり(いえ、わがままでしょうか)たっぷりのおにぎりを作り、朝晩の送迎をこなし、試合は全て最初から最後まで観戦し、点を取れば私より喜び、ゴールキーパーとして私が活躍すればガッツポーズ。家に帰れば夕飯とお風呂の準備、それから今日で汚れたユニフォームの洗濯。やっと休日が終わったと思えば、また大人としての長い長い平日が始まります。

 今になって思います。私の両親を含め、大人ってすごいんだなと。
 毎日働き詰めで、職場と自宅を往復し、限られたお小遣いや余力の中でちょっとした贅沢をしたりしなかったり。でもそんな大人がいるから社会は回っていますし、感謝してもしきれません。きっとこのブログを読んでいる貴方も、何かを犠牲にしながら、小さな対価を得るのに我武者羅になり、犠牲にした何かへの償いをしながら、日々自らを削っているのだと思います。
 最近私のお店には、仕事終わりの方のご来店が増えています。今日こんなことがあってさ、実はこんな大変なことがあって、明日はきっとあんなこともしなくちゃいけなくて、、、。ひと回りもふた回りも歳下の店主に、とめどなく日頃の苦労を吐露しにいらっしゃる方も少なからずいらっしゃいます。

 そんな方への労いとして私ができるのは、美味しいコーヒーを淹れることだけです。
 味覚とは不確かなものですので、私なりに精一杯、お客様の好みに合ったコーヒーを淹れさせていただきます。酸味があるのは嫌い、苦いのも嫌い、今日はガツンとしたのがいい、この間飲んだあれはちょっと物足りなかった、など、忌憚ないご意見を頂けるととても嬉しいです。
 きっと次回お越しいただく際には、好みに合った、こだわりたっぷりのコーヒーをご用意させていただきます。

 私の両親がそうしてくれたように。

 いえ、わがままでしょうか。