2025/03/28 16:26

  

 季節外れなクワガタが、熱帯魚や昆虫を取り扱う近所のペットショップで売られていました。

 聞くところによるとクワガタは、カブトムシと違ってきちんと育てれば冬を越すことがあり、実はペットとして飼育できる時間も長いんだそうです。なんとなく知ってはいましたが、この時期のクワガタを実際に見るのは、今回が初めてでした。少し調べてみたらわかったのですが、クワガタは3月になると活動を開始し、半年間くらいは平気で生き続け、そして再度冬眠へと入っていくそうです。季節外れだと思ったクワガタは、本来の意味において全く季節外れなんかではなく、むしろこれからシーズンを迎えるための、とても大切な時期にあるみたいです。クワガタのおかげでまた一つ、賢くなりました。クワガタよ、どうもありがとう。

 日本に住む私は、四季の移ろいを肌で感じることができるわけですが、これはとても恵まれたことでもあると思います。季節ごとに変わる気温や町の匂い、年中無休で入れ替わる、期間限定の商品。どれも当たり前の景色となっていますが、世界には四季のない国というのもかなりの数あると言います。常夏、なんて響きに憧れを抱かないわけではないですが、移ろいゆく季節の中に存在する、春の高揚感や秋の哀愁を体感できないのはとても寂しく、やはり自分は日本人なのだなと思い知らされます。侘び寂びなど、そんな大層なものを語れるほど高尚な人生を歩んではおりませんが、季節の終わり毎に感じる儚さは、きっと日本人特有の感性なのでしょう。

 3年前。
 社会人になり、埼玉県内のわりに栄えた街で就職した私は、季節感というものを失っていたかもしれないと、今になって思います。季節が分からないということでは無いんです。なんとなく今の季節が何であるかくらいは当然わかっていたのですが、気温や湿度でしか季節を推し量ることができておらず、日々無機質な色の壁に囲まれた四角い空を見上げながら、その日の季節を確認していました。今日は暑くてジメジメしているから夏だ。寒くて凍えそうだから冬だ。なんとなくあったかくなってきたから春っぽい。そういえば最近肌寒いと思うこともあるから秋だろう。そんな程度です。
 栄えた街での四季とは、およそそのようなものでした。気温が無機質に変化し、人間が機械的に衣類を選ぶ。ファッションに無頓着な私は、春服とか秋服とかそういった楽しみがほとんどなく、洋服は快適に過ごせれば何でもいい、というかなりアバウトな生活を送っているので、残念ながら衣類によって季節を感じることもありませんでした。
 コンビニへ行けば季節物のスイーツが売っていますし、大手のコーヒー・チェーンに行けば、少し季節を先取ったプロモーションがされています。都会はこういった季節物に溢れているわけですが、どうもしっくり来ず、順番が逆なのではないかと思ってしまうことが多々ありました。
 チョコレートのスイーツが増えてきたからバレンタインを感じ、パンプキンラテが発売されているからハロウィンを感じる。社会という目覚まし時計から、ほら、もうすぐバレンタインだよ、もうすぐハロウィンだよ、と声をかけられてようやく季節の変わり目を感じ取り、眠い目をこすりながら後付けで季節に名前をつけるような生活を送っていました。

 本来であれば逆なはずです。
 肌寒い日の合間に少し暖かい日が出てきて、梅の木に濃いピンク色の蕾がついた頃、世間はバレンタインを迎えるのです。深呼吸しながらさわさわと揺れるススキの音を聴いた頃、世間はハロウィンを迎えるのです。日々追われるような生活をしているのでは、季節を感じる間もなく、気づけば時が流れているなんてことになるのだと思います。せっかく日本で生きているのに、もったいない。

 昨年の6月末、私は松伏町という小さな田舎町で珈琲屋を開きました。

 関東平野のど真ん中。あたり一面は田んぼに囲まれ、広い庭付きの家屋がぽつりぽつりと建っています。庭先にある駐車スペースには、農作業用の軽トラックが1台と自家用車が2台。街灯のない路地裏でも、夜は月明かりが町全体をぼんやりと照らし、少し散歩に行く程度ならなんの問題ありません。
 オープン当初。梅雨の時期は田んぼに水が張られ、夜になれば蛙の大合唱。昼間は少しばかり早い蝉時雨に身を打たれながらスーパーカブを走らせ、お店の営業に勤しんでいました。月日が流れるとやがて蛙の声は聞こえなくなり、代わりに多様な蝉と、名前の分からない、じぃぃぃっと一定の声で鳴く虫の声が声が町を埋め尽くすようになりました。昼間の暑さに身を悶え、じめっとした夜の空気にどこか儚さを感じながら帰路につきました。新品の郵便ポストのような色をした落日を眺め、日が短くなっていることに気づき始めた頃、田んぼには様々な黄金色をした稲穂が実りをつけていました。世間が米不足で騒いでいる中、大量の稲穂の間をスーパーカブで走り抜け、気づけば大型のトラクターが規則正しく並んだ稲の収穫を行い、田んぼに落ちた米をカラスが啄むようになりました。やがて田畑は焼かれ、無数の蝉が棲家としていた桜の木は葉を落とし、風が吹けばカラカラと音を立てています。田んぼの土手が作り直され、もう一度田んぼへ水を流し入れる準備が整った頃、足元ではナズナが芽を出し始め、梅の木についた蕾が膨らみ始めました。梅の開花を合図に、文字通り三寒四温の日々。季節外れな名前をつけられたクリスマスローズが花開き、枇杷の木の枝先が賑やかになってきました。そしてオオイヌノフグリが菫色の小さな花弁を目一杯開いたある日、桜の花が咲きました。

 私が初めてきちんと覚えた花の名は、オオイヌノフグリでした。年齢は定かではありませんが、小さな頃母が教えてくれたと記憶しています。春になったら咲くんだよ、と。それ以来私は毎年、オオイヌノフグリを目印に、春の訪れを確認しています。お店の庭にも何箇所かオオイヌノフグリの群生するエリアがあり、毎日少し眺めてはほっとしています。今年もようやく春が来たなと。

 春です。

 出会いと別れの季節です。
 桜の木の下で、出会いと別れを共にした友人と集まります。前年の花火大会以来初めて広げるレジャーシートの上で、久々の会話に花を咲かせます。
 手作りのサンドイッチとコーヒー。甘いものも欲しかったので、屋台で買ってきた鈴カステラも。物足りなくて買ってきた唐揚げは、少しばかり余りそうな気がします。
 一通りの近況報告を終えてからは、昔の思い出話とこれからの夢の話。話が熱気を帯び、羽織ってきた薄手のカーディガンを脱いで、さらに話は盛り上がりを見せます。何時間でもこの空間が続けばいいのにと思う頃、すっかり主役の座から降りてしまった軽食に目が行きます。
 すっかり冷たくなった唐揚げと、今日は不人気だった、ツナサンド。

 手元には、冷め切ったコーヒーが半分。
 特に深い意味もなく口にしたコーヒーは、冷たいはずなのに、どこか温かさを感じる優しさに満ちています。

 深呼吸。

 いつの間にか背景となってしまった桜の木々に目をやると、突然のその美しさに圧倒されてしまいます。やがて意識は会話から桜へと移り、桜を見上げる私につられて、ひとりまたひとりと、桜色一色の天井を見上げ始めます。

 季節外れなクワガタは、桜の美しさを知るのでしょうか。