2025/04/13 19:44

この間、ふと昔の友人のことを思い出しました。
その友人とは幼稚園で出会い、それから小学校、中学校と生活を共にしてきました。休みの日にはそれぞれの自宅を行き来し、それらの近くの公園でサッカーや野球をして汗を流し、雨が降ればそれぞれがゲームを持ち寄って遊びました。そんな中でも一番記憶に残っているのは、その友人と出会った、春のことです。
その頃の私は友達の作り方もよく分からないまま園児となり、当然その友人もそうだったのだと思います。なんとなく同じクラスにいて、そこでなんとなく隣に座ったからとか、こんな程度の理由から友達になったわけなのですが、不思議なことにそうしてできた友達との関係はいまだに続いています。その園に入園してすぐ仲良くなったため、この友人との思い出の多くは、その季節のものが多いのだと思います。桜の花の持つ独特な香りを感じると、その頃のことが思い出され、ぼんやりと楽しかったあの頃の思い出がフラッシュバックしてきます。
これは何も私だけではないと思います。それぞれに思い出深い季節や環境があり、これらがふとした瞬間に思い起こされ、最後には感傷に溺れる。毎日ではないにせよ、時折そんな経験をしてしまいます。
こういったことが起きる時、大体私は嗅覚からそれを感じます。
その友人のことを思い出す時にも、トリガーとなるのは桜の香りです。これは人によって異なるのだろうと思いますが、少なくとも私はほとんどの場合そうなのです。どうしてと言われても中々答えに困ってしまうのですが、これについて調べてみると、どうやら嗅覚にはそういった機能のようなものが備わっているそうです。脊髄反射的に記憶へと結びつく唯一の五感であり、だから”不意に”そういった現象が起きるというわけです。確かに言われてみればそうかもしれないと感じてしまいます。
何かを見ても、何かを食べても、何かを聞いても、何かに触れても、不意に過去のことを思い出すことはほとんどなく、そうなるときは大体記憶の糸を辿るようにしてそれを思い起こしているというのがこの場合適切な表現なように思えます。直感では理解しにくいですが、確かに嗅覚の場合のみ、そのような現象が起きるかもしれないと感じてしまいます。
コーヒーの香りも、いくつかの過去を思い出させてくれます。
アルバイトを始めた頃のこと、優しい祖父の笑顔、その香りと一緒に読み進めた小説など、ジャンルはバラバラであるにせよ、特定のコーヒーの香りと記憶は、密接に関わり合っています。必ずしも良い思い出ばかりではなく、例えばアルバイトのことで言えば、中々仕事が覚えられなかったことや、それについて自信を失ったこと、そうしてネガティブになりどんどん凹んでいったことなど、この一部分を切り取ってしまうと、やはりこうなってしまうわけです。これは私にコントロールできることではなく、初めて遭遇する出来事や、衝撃的な何かを経験した時に充満していた香りが、それらと繋がることでこのような現象が起きるのでしょう。
誰かに圧倒的な衝撃を与えたいとは思いません。ただ、香りだけでその人の記憶を呼び起こせる、そんなコーヒーを淹れたいとは思うわけです。
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先日、ふと昔親しくしていた友人のことを思い出しました。
彼とは幼稚園のクラスで出会い、卒園後はいずれも同じ小学校、中学校へと進学し、9年間とそれなりに長い時間を共有してきました。休みの日にはお互いの自宅を行き来し、近所の公園でサッカーや野球をして汗を流し、雨が降ればそれぞれハマっていたプレイ・ステーションのゲームを持ち寄って遊びました。数々の思い出があるわけですが、中でも一番記憶に残っているのは、彼と出会った季節、春のことです。
幼稚園入園時。友達の作り方なんて、分かりませんでした。今では親しくなっている彼とも、当時はなんとなくお互いの距離感を推しはかり合っていたのだと思います。偶然同じクラスにいて、偶然隣に座ったからとか、おそらくそんな程度の理由で友達になったわけなのですが、不思議なことにそうしてできた曖昧な彼との関係はいまだに続いています。入園後すぐに仲良くなったため、彼との印象的な思い出の多くは、入園後すぐの季節、つまり春のものが多いのだと思います。桜の花の持つ独特な香りを感じると当時のことが思い出され、ぼんやりと楽しかったあの頃の思い出がフラッシュバックしてきます。
このような経験をするのは、きっと私だけではないと思います。それぞれに思い出深い季節や環境があり、ふとした瞬間にそれらが思い起こされ、最後には感傷に溺れる。毎日ではないにせよ、時折そんな経験をしてしまいます。
不意に過去を思い出す時、私は大体嗅覚がきっかけであることばかりです。
件の友人のことを思い出す時にも、そのトリガーとなるのは桜の香りです。過去を思い起こすきっかけは人によって異なるのだろうと思いますが、少なくとも私はほとんどの場合は嗅覚が関係してきます。どうしてと言われても中々答えに困ってしまうのですが、嗅覚と記憶の関連性について調べてみると、どうやら嗅覚には、過去の記憶を呼び起こす機能のようなものが備わっているそうです。脊髄反射的に記憶へと結びつく唯一の五感であり、だから”不意に”そういった現象が起きるというわけです。確かに言われてみればそうかもしれないと感じてしまいます。
何かを見ても、何かを食べても、何かを聞いても、何かに触れても、不意に過去のことを思い出すことはほとんどなく、これらの五感と過去の記憶と関連づけるときは、大体記憶の糸を辿るようにしてそれを思い起こしている、というのが適切な表現なように思えます。直感では中々理解しにくいですが、確かに嗅覚の場合のみ、不意に過去を思い出すという現象が起きているかもしれないと感じてしまいます。
コーヒーの香りも、私にいくつかの過去を思い出させてくれます。
アルバイトを始めた頃のこと、優しい祖父の笑顔、深煎りのコーヒーの香りと一緒に読み進めた小説など、ジャンルはバラバラであるにせよ、特定のコーヒーの香りと記憶とは、密接に関わり合っています。必ずしも良い思い出ばかりではなく、例えばアルバイトのことで言えば、中々仕事が覚えられなかったことや、自分の非力さに自信を失ったこと、自信を持てない自分に失望しどんどんネガティブになっていったことなど、局所的に一部分を切り取ることで、もちろん当時の辛かったことも思い起こされるわけです。これは私にコントロールできることではなく、初めて遭遇する出来事を経験した時や、衝撃的な何かを体感した時に充満していた香りが、コーヒーの香りと繋がることで、このような現象が起きるのでしょう。
誰かに圧倒的な衝撃を与えたいとは思いません。ただ、香りだけで誰かの記憶を呼び起こせる、そんなコーヒーを淹れたいとは思うわけです。
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生命の香りを含んだ風がふわっと全身を包んだ時、とある友人のことを思い出しました。
彼とは幼稚園のクラスで出会い、卒園後はいずれも同じ小学校、中学校の門をくぐり、それなりに長い時間を共有してきました。平日は共に机を並べ、待ち侘びていた休日がやってくると、私たちはお互いの自宅を行き来し、大きな桜の木がシンボルとなっている近所の公園でサッカーや野球をして汗を流し、雨が降ればそれぞれハマっていたプレイ・ステーションのゲームを持ち寄り、文字通り日が暮れるまで遊びつくしました。思い出のアルバムはページを捲れども尽きませんが、中でも鮮やかな色彩を放っているのは、彼と出会った季節、春のことです。
初めての幼稚園。友達の作り方なんて、もちろん分かりませんでした。今では親しくなっている彼とも、当時はなんとなくお互いを品定めし、こいつと仲良くなるべきなのかと、子どもながらに厳しいセキュリティ・チェックをしていたのだと思います。偶然同じクラスに属することとなり、パック詰めされた10個入りの卵のように規則正しく整列させられた時、たまたま隣り合う席を割り当てられた、おそらくそんな程度の理由で友達になったわけなのですが、不思議なことにそうして始まった彼との関係は、いまだに続いています。入園後すぐに仲良くなったため、彼との印象的な思い出の多くは、入園後間も無い季節、つまり春のものが多いのだと思います。桜の花の持つ独特な香りを感じると当時のことが思い出され、ぼんやりと楽しかったあの頃の思い出がフラッシュ・バックしてきます。
このように日帰りの記憶旅行のようなものを経験をするのは、きっと私だけではないと思います。人それぞれに思い出深い季節や環境があり、ふとした瞬間にそれらが思い起こされ、最後には感傷に溺れる。毎日ではないにせよ、時折そんな経験をしてしまいます。
不意に過去の出来事を思い出す時、何かの香りをきっかけとすることが多々あります。
件の友人のことを思い出す時、そのトリガーとなるのは甘く湿度を含んだ、桜の香りです。きっかけは人によって異なるのだろうと思いますが、少なくとも私の場合は、嗅覚によって思い出のアルバムが開かれることが多く、香りの持つパワーによっては、ピントの狂ったカメラのように、ぼんやりと浮かんだ情景は近づいたり遠のいたりしています。どうしてと言われても中々答えに困ってしまうのですが、嗅覚と記憶の関連性について調べてみると、どうやら嗅覚には記憶をダイレクトに呼び起こす、いわばナース・コールのような機能が備わっているそうです。脊髄反射的に、記憶へと直接結びつく唯一の五感であり、だから”不意に”懐かしい情景が目の前に浮かぶわけです。
何かを見ても、何かを食べても、何かを聞いても、何かに触れても、不意に過去のことを思い出すことはほとんどなく、これらの五感と過去の記憶と関連づけるときは、大体記憶の糸を辿るようにしてそれを思い起こしている、というのが適切な表現なように思えます。直感では中々理解しにくいですが、確かに嗅覚の場合のみ、不意に過去を思い出すという現象が起きているかもしれないと感じてしまいます。
コーヒーの香りも、私にいくつかの過去を思い出させてくれます。
アルバイトを始めた頃のこと、優しい祖父の笑顔、深煎りのコーヒーの香りと一緒に読み進めた小説など、ジャンルはバラバラであるにせよ、特定のコーヒーの香りと記憶とは、磁石のS極N極のように背を向けながらも密接に関わり合っています。思い出されるのは必ずしも良いものばかりではなく、例えばアルバイトのことで言えば、中々仕事が覚えられなかったことや、自分の非力さに自信を失ったこと、自信を持てない自分に失望し、日を追うごとに世界がモノクロに見えるようになったことなど、局所的に一部分を切り取ることで、もちろん当時の辛かったことも思い起こされるわけです。これは私にコントロールできることではなく、初めて何かを経験した時や、衝撃的な出来事に遭遇した時、偶然その場に充満していた香りが、否が応でも記憶と繋がることで、強制的に過去へと繋がるナース・コールが押されるわけです。
誰かに圧倒的な衝撃を与えたいとは思いません。ただ、香りだけで誰かの記憶を呼び起こせる、そんなコーヒーを淹れたいとは思うわけです。
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同じ内容でも、筆の進め方によって解像度は変わります。上述の3つの文章。同じことを表現していても、言語化のされ方や行間の生み方によって、見え方は大きく変わったことでしょう。それとかあれとか言っているうちになんの話か分からなくなってしまったり、解釈の余地がないほどに狭義的な言い回しでちょっと読み心地が硬くなったり、抽象的な言い回しをすることで人それぞれ解釈が変わってきたり。生命の香りを含んだ風って、どんな香りでしょうか。私にも分かりません。
さて、もう一度この記事を最初から読み直したらどうなるでしょうか。