2025/08/02 14:09
休日のショッピング・モールは、映画館の匂いがします。
フード・コートからはたこ焼きやステーキ、ハンバーガーといった茶色い人気者たちの匂いが漂ってきて、大きなショッピング・モール全体が、映画館のようでもあり、そしてお祭りの会場のようでもあるような、なんともワクワクする空気に包まれます。無数の人間が館内を練り歩くその姿はまさにお祭りのようで、皆がそれぞれのリズムに従ってステップを踏んでいます。
雑踏の津波にちっぽけな私の意識が押し流されそうになった頃、私は夏の屋台を思い出します。夢現。発電機がうなる中、いかついおじさんが柔和な笑顔で手渡してくれたあのふりふりポテトは、大切な夏の思い出として心の奥底に眠っています。夏の思い出は掴みどころがなく、どれも朧げな輪郭をしています。
夏は、初夏の高揚に始まり、晩夏の哀愁に終わる、なんとも美しい季節です。
昔から暑さに弱い私は、夏と仲良くするのに苦労するのですが、それでも夏の美しさには毎年魅了され、年々少しずつ夏の憐憫さに心奪われているような気がします。風物詩、という言葉はいつ使っても良いのでしょうが、私は夏にしか使ったことも多分ありませんし、他の季節においてはほとんど見たことがありません。
終業式の後、先生が夏休みの注意をクラスのみんなに話している中、私は椅子から腰を半分浮かせ、夏休みのスタート合図を、今か今かと待ち望んでいました。
先生の話は上の空で、自分の部屋に飾ってある、浦和レッズのカレンダーに記した予定を反芻します。
ばあちゃんち、合宿、バーベキュー、花火大会、自由研究、宿題終わり、長瀞旅行、みんなでお泊まり、と、大体週に2つずつくらいの予定がそこには記されており、何も書いていない日には虫取りをしたり、川でザリガニ釣りをしたりと、日々忙しく遊びに暮れていました。当時はスマホはもちろんガラケーを持っている同級生もほとんどいなかったので、夏休み前最後の登校日に、綿密なスケジュールを立て合っていました。
お互いの自宅の電話番号は知っていたので、そこまで躍起になって決めておく必要はなかったのですが、何やら秘密の作戦会議をしているような妙なワクワク感があり、その予定に関係のない友人が話に割って入ると、あっち行けよ、と乱暴に突き返し、そしてまた密談を再開するのでした。オレンジ色の花の写真が表紙の自由帳には、曲がりくねったカレンダーが描かれ、これから始まる夢のような40日の作戦が詰め込まれていました。
夏休みに入って数日が経った頃、家族で向日葵畑へ出かけました。
県内にある、小さな向日葵畑です。
観光客向けのガイド・ブックには載っておらず、家族用のパソコンで父が偶然見つけてくれたのです。私は隣家や街中で向日葵を見ても特に気に留めることはなく、ましてや向日葵めがけて一目散に走り出すなんてことのないのですが、無数の向日葵が咲き誇る光景には興味がありました。そのホームページに掲載されている向日葵は、何度も同じ写真をカラー・コピーしたようにざらついていて、ギザギザの歯車のようでしたが、晴れ渡る空の下懸命に咲く向日葵は、少なくとも小学生の私が一度見てみたいと思うくらいには壮観だったわけです。
父の運転で高速道路を1時間走り、そこから下道で45分。目的地へ近づくにつれて交通量は少なくなり、信号で止まることも減ってきました。エアコンの効いた車内は快適で、当時の私は後部座席で小さな体をくねらせたりひっくり返ったりしながら、向日葵畑の光景を妄想し、目的地への到着を待ち望んでいました。
大きな幹線道路を外れ、くねくねと曲がった道を何度か登ったり下ったりした先で、ようやく目的地へと辿り着きました。看板には小さく〇〇ファーム、と書かれており、駐車場は砂利と雑草が入り混じっていました。大粒の砂利を踏み締めるようにして車を停めた後、ようやく車外へと降り立ちました。夏の香りを含んだ風は穏やかで、見えない木々に止まった大量の蝉が、私たちの到着を祝福していました。
赤茶色に変色した小さな小屋に受付があり、そこには人の良さそうな年配の男性が座っていました。調度品の椅子のような貫禄と品性を感じる人でした。受付の男性は私の両親と少しばかりやり取りをして、向日葵の写真の入ったチケットを4枚、手渡してくれました。
小屋を通り抜けた先には向日葵畑が一面に広がっている、そう思っていたのですが、見渡す限りの野原。自分が今、ファームの外側にいるのか内側にいるのか、分からなくなりそうでした。キョロキョロと目を瞬かせていると、少し歩いた先に向日葵が咲いてるみたい、と姉が教えてくれました。
足元にあった手頃な石を蹴飛ばすと、その石は道順通りの方向へと転がり、最後は少しだけ道から逸れてぴたりと止まりました。家族の後ろを、石を蹴りながら進みました。砂利道というのか畦道というのか、とにかくデコボコしていて、思ったように石は転がりません。普段ならきっと怒られていますが、今日だけは特別です。周りにお客さんらしい人も見当たらず、我々家族4人は、砂漠を歩く移住民族のように歩き続けました。
何分歩いたのでしょう。
石を蹴飛ばして歩くのにも飽き、ダラダラと転がる石ころのように歩いていると、目の前に突然、無数の向日葵が現れました。疲れてくねくねしながら歩いていたので、足元ばかり見ていたのです。
私の身長をゆうに越え、天高く伸びる向日葵の様は壮観で、どこまで行っても向日葵の道は続いていました。
ここまで歩いてきた疲れも忘れ、一目散に走り出します。無数の向日葵が両脇に立ち並び、向日葵によって形作られたトンネルを駆け抜けます。チラチラと太陽が見え隠れし、触っちゃダメだよ、という母の声は輪郭を失い、水中から聞こえてくるようでした。クネクネと蛇行する向日葵のトンネルを終えると、今度は反対側からもう一度走り出し、まだ入り口近くで写真を撮っていた家族と合流します。息を切らしながらトンネルの長さを報告し、急いでもう一往復したところで、写真を撮るから、と向日葵の中で姉と私は整列させられました。私が前で、姉が後ろです。姉は同年代の中でもかなり背が高かったので、私の後ろに立っても顔が隠れることはなかったのです。黄色いワンピースに麦わら帽子を被った姉と、大手スポーツ・メーカーのロゴが印刷された青色の帽子を被った丸坊主の私は、両親の持つカメラに目線をやりながらも、向日葵の持つ壮大な景色に目線が引き寄せられ、結局中途半端に首を傾げたような格好になるのでした。写真撮影を終え、今度は家族の周りをちょろちょろと走り回りながら、皆同じ方向を向いた向日葵畑を後にしました。
向日葵畑で走り疲れ、帰りの車に乗る頃にはもうぐったりとしていました。
車のエアコンが心地よく、朧げな夏の午後は、プールの授業の後にやってくる国語の時間みたいでした。
うつらうつらとする私の横で、姉が両親に問いかけました。向日葵、どうしてみんな同じ方を向いているの、と。
確かに言われてみればそうでした。向日葵は皆一様に、同じ方向を向いていました。姉の疑問は至極真っ当なものであり、何らおかしなものではありませんでしたが、実は私はその答えを知っていたのでした。
向日葵ってみんな太陽の方を向いているんだって。その方が太陽の元気をいっぱいに受けられるからね。私の持ちうる、一種の雑学でした。そう言って両親の鞄からデジカメを取り出し、先ほど撮った写真を見返します。私も姉も向日葵も、全員こちらを向いていました。こうしてみると親戚一同の集合写真みたいでした。ほらみろ、僕の言った通りじゃないか、と勝ち誇ったような顔をしていると、姉は眉を顰め、向日葵はこっち向いてるけど、太陽は真上にあるよ、と。
よくよく見るとそうでした。太陽は真上にあります。写真には写り込んでいませんが、影の向きや陽の当たり方からして、太陽が真上にあるのは間違いなさそうです。
でも私は間違いなく見たのです。学校の図書館で借りてきた植物図鑑の豆知識コーナーで、向日葵は太陽の方に向いて咲くのだと。あの図鑑は間違っていたのでしょうか。
どうしてだろう。図鑑、間違ってたのかな。でもみんな同じ方向は向いてたよ。でも太陽の方じゃなかったじゃん。じゃあ太陽じゃない何かに向かって咲くんだよ。何かって何だよ。そんなの知らないよ。でも図鑑には太陽の方を向く、って書いてあったんだよ。じゃあ図鑑もう一回借りてくればいいじゃん。
そんな口喧嘩とも呼べないやり取りをしている時、いつだって答えを知っているのは母でした。
ねぇお母さん、どうして向日葵は同じ方を向いて咲いているの。
向日葵はね、小さな頃はずっと太陽の方を向いて咲くんだよ。元気いっぱい、大きくなれるようにね。でも大きくなるとだんだん太陽の方を向かなくなって、いずれ東を向いて動かなくなる。だってほら、夕日より朝日の方が気持ちいでしょ?
人間みたいだと思いました。
大きなエネルギーを欲している子どもと、エネルギーの代償を覚えた大人。それを世間は、学習、と呼ぶのかもしれませんが、いわゆる学習、というやつをし続けた結果、どんどん世界が狭くなっていっていることに、果たしてどれくらいの人が気づいているのでしょうか。
私も大人になりました。
嫌なことばかり覚え、前にやってダメだったから、前に嫌な思いをしたからと、二の足を踏むどころか、無意識のうちに避けるようにすらなりました。自分が快適な世界を創り上げるために、一度でも自分が嫌だと思ったことは完全にシャット・アウトするようになりました。白湯を飲んだら体調を崩したので、水は冷たいままに飲むようになりました。日焼けしたら肌がカサカサするようになったので、外出を避けるようになりました。ふらふらと農道を歩いていたら、何かも分からぬ糞を踏んだので、その道だけは通らないようになりました。フルーティ、という触れ込みに踊らされて飲んだコーヒーが酸っぱくて飲めなかったので、フルーティなコーヒーを選ばなくなりました。
ジリジリと肌を焼く西陽を覚えた大人は、夕方になるとカーテンを閉めるようになりました。朝日は心地よいからと、カーテンを開け放つようにもなりました。
向日葵。
彼らは爽やかな朝日を享受するために、東を向いて動かなくなりました。
真っ赤な落日を目の当たりにするのは、健気に太陽を追い続けた、小さな向日葵だけでした。
思い切って浅煎りのコーヒーを焼きました。
フルーティなコーヒーが出来上がりました。
新たな出会いがありました。