2025/09/12 11:20
巨大な水墨画みたいな空が、眼前に迫ってきています。
秋の雨特有の湿度を持った匂いが波のように押し寄せ、遠くでは一足先に雷が声を上げ始めています。もうすぐ雨が降りそうだね、そんな話をしたのを皮切りに、ボタボタと巨大な雨粒が空から落ちてきます。窓から手を伸ばせば雨粒が掌を叩き、あっという間に肘までずぶ濡れです。体温と同じくらいの、体に纏わりつくようなそんな雨が、外の世界を一色に染め上げています。
一般に形容するならば、土砂降りの雨。
こんな天気の中私が、実に良い天気ですね、なんて言ったらどう思われるでしょうか。ジョークなのか皮肉なのか、或いは頭がおかしくなったのか、少なくとも真面目に話していると思われることはなさそうです。だってそうでしょう、どう好意的に見ても、土砂降りの雨は良い天気ではないのですから、真っ当な反応を得られるわけもありません。
一般化された言葉の中に主観を投じることで、世間は常識を創り上げます。
きっと土砂降りの雨は常識的に見て、良い天気ではないのでしょう。これ自体は問題ではありません。私が言いたいのは、常識と事実は似て非なるものである、ということです。
晴れている、これは客観的な事実です。雨が降っている、これも客観的な事実です。
ただ一方で、良い天気、これは主観に基づく評価であり、事実とは異なります。
何を良いとし、悪いとするかは、人それぞれ違うでしょう。晴れ渡った天気の日を、良い、とする人が世間的に多い為、良い天気とは晴れを指すという常識が創り上げられたのでしょう。似て非なるものです。
言葉は、そのほとんどを客観的な事実と主観的な評価に分けることができ、これらを正しく使い分けることが大切だと私は感じています。また主観的な評価の集合は常識と呼ばれ、これを事実と誤認する場面に度々遭遇します。
今日は雨が降っている。これは客観的な事実です。ただ、今日は猛烈な雨が降っている、これは主観的な評価になります。ある人にとって猛烈な雨は、別のある人にとっては普通の雨に見えることだってあるわけです。
多数派によって支持される主観が常識と呼ばれ、事実のように思えてしまうことがある。一番厄介です。
浅煎りは酸っぱい、なんて話をよく耳にします。これは事実でしょうか、主観でしょうか。或いは常識でしょうか。
これは実に入り組んだ問題で、あえて結論を出すのならば、どちらともつかない、というのが答えになってしまいます。
浅煎りは傾向として多量の酸を含むことが多い、これは事実です。
この酸を酸っぱいと感じるか、爽やかと感じるか、これは主観です。
またそもそもの話として、浅煎りのコーヒーを抽出すれば酸が突出するのかという論点も存在します。
浅煎りに限らず珈琲は、抽出の仕方によって味が大きく変わります。味の傾向は、その豆の持つ特徴によって大まかには限定されるわけですが、最終的な味の決定は抽出によると、私は考えています。その豆の持つ特徴をどれくらい引き出し、どの個性を全面に出し、どの個性を控えさせるのか、どのようにして全体の味のバランスを取るのか、そんなことを考えながら抽出するわけで、浅煎りって酸っぱいんでしょ、なんて言われてしまうとちょっとは向かいたくなってしまうのです。浅煎りの珈琲豆を使用して、酸を極力減らして抽出することも可能であり、ともすればほとんど酸を感じさせないように抽出することだってできてしまうのです(美味しくないので滅多にやりませんが、理屈上可能である、という話です)。
つまり浅煎りだから酸っぱいとか、浅煎りじゃないから酸っぱくないとか、そんな簡単な話ではないわけです。
世の中に酸っぱい浅煎り多い、これはおそらく事実でしょう。ただこれは主観的な傾向の話であり、浅煎りが酸っぱいという事実が存在する理由にはなりません。大衆化された、誤った常識だとさえ感じます。多数によって生み出される主観の集合は、時として事実に見えてしまいます。
雨とは嫌なものである、というのもその一つです。
私は雨がわりに好きだったりします。癖っ毛でもないし、車があれば特に移動に困ることもない。洗濯はちょっと大変になるけれど、IKEAの青い袋に洗濯物を詰め込んでコインランドリーへ行くのも、ある種の非日常として楽しんでいたりします。雨音だって心地よいですし、あのじめっとした質量を含んだ匂いも大好きです。私にとって雨は、良い天気と呼ぶにふさわしいものでしょう。
一般に雨が嫌がられているのは分かっています。浅煎りが酸っぱいと思われていることも、もちろん分かっています。
ただそれを事実だと思わないでほしいということです。
もっというなら、偏った常識であるということに気づいてほしい、ということです。
もうすぐ、秋です。
世間一般があまり盛り上がっていないことは知っていますが、珈琲業界に従事する者として、日頃思っていることを書き連ねようと思うくらいには、記念的で象徴的な季節に入ってゆきます。
浅煎りの珈琲を試すのは、なかなか勇気のいることです。かくいう私も、外で浅煎りの珈琲を見かけても滅多に購入しません。酸っぱそうだし。
ただ、酸っぱくない浅煎りが存在するのも事実です。
この違いが分かるか分からないかは、常識に囚われるか否かだと、私は思います。