2026/08/27 22:13

 ライブ会場でスマホを取り出し、ステージにカメラを向ける。
 私が理解できない行動の一つです。

 せっかくライブ会場に来ているのに、ライブの動画をスマホに収め、後で見ようとしているわけです。
 確かに後から見返せるという点においては優れているのだとは思いますが、だったら公式から発売されるライブDVDなんかを買えばいいじゃないか、と思ってしまいます。ライブ会場で撮った動画のクオリティは、きっと公式発売されるそれより低いでしょうし、動画を撮る利点がイマイチよくわからずにいるのです。
 それに第一、ライブ会場にいるのなら、ライブを観ればいいじゃないか、というシンプルな意見も持ち合わせています。お金と時間をかけてライブ会場へ足を運び、その場で質の低い動画を収めて満足する。私はひどく困惑してしまいます。ライブ観ろよ、と思います。

 似たようなことを、普段の生活の中でも感じることがあります。
 うまく表現しづらいのですが、スマホに記録を残すのが目的になっている気がするのです。ライブに行っても、スポーツ観戦に行っても、食事に行っても、ディズニーに行っても、夕焼けを見に行っても、全部スマホに記録を残すために行動していないでしょうか。
 食事に行ったなら、食事を楽しめばいいと、私は思います。夕焼けは、完全に沈み切るその瞬間まで、身じろぎせずじっと見つめていればいいと、私は思います。そしてこの大切な思い出を残すために、手段としてスマホを使うのは納得がいきます。目的と手段、というやつでしょうか。スマホに全てが支配され始めていると感じてしまいます。

 スマホの普及とともに、「インスタ映え」や「盛れる」といった言葉が世間に誕生しました。
 昔っからこの「インスタ映え」や「盛れる」といった言葉に、小さな嫌悪を覚えています。これらの言葉を聞いて真っ先に出てくるのは、「嘘ってことやん!」という反論です。
 小さな日常に嘘を散りばめ、あるいはてんこ盛りにし、実寸大の日常を大いに誇張してから、まるで日常かのようにSNSで発信する。(あまりルッキズム的な話はしたくないのですが)自分の顔が美しく見える角度を研究して、その角度の写真ばかりを載せる人もいます。盛れた盛れたと喜ぶ人を見る時、私はきっとカエルの産卵を見ているような目をしているでしょう。
 何はともあれそれらの言葉を使ったことがほとんどないので、私の解釈がずれている可能性も大いにあります。ただ「インスタ映え」も「盛れる」も共通しているのは、虚栄や欺瞞といった、広義における嘘を言い換えた表現ではないかと、私は思うのです。
 「インスタ映え」する写真や、「盛れる」写真を撮って楽しむのは、大いに結構です。一切否定しませんし、それを楽しめるのであれば、もちろん楽しむべきだと思います。私が眉間に皺を寄せたくなるのは、それらの写真を、あたかも事実かのように発信し、事実をねじ曲げる行為が目についた時です。自己満足の領域を超え、自己顕示に走った瞬間とも言えるでしょう。そこで私は思うわけです。「嘘やん!」と。

 スマホは便利で、なんでもできるようになりました。選択肢は増え、これまでできなかったことも可能になりました。私も毎日使いますし、無ければ困るとも思います。
 ただあくまでスマホは道具なわけで、主軸は自分にあるはずです。スマホで撮った動画は、後で見返したり、思い出を呼び起こすときに使うのでしょう。自分の体験を忘れないように、スマホを活用する。これ自体に異論はありません。
 いつしかスマホが主軸となり、自分はそれについて行っているだけになっていないでしょうか。私は、現代に大きな疑問を抱いています。

 だからこそと言うのでしょうか、最近心地よいと感じる間柄の友人の、共通点が見えてきました。
 彼らは一緒にいる間、スマホをほとんど開きません。写真もほとんど撮りませんし、稀に撮っても集合写真です。目の前の現実をその場で楽しみ、必要以上に記録しない友人は、今この時代だからこそ大切なのだろうと思います。もちろん写真を撮る友人もいますが、それらは大体において記録的で、実務的であるか、あるいは本気で写真を撮りたいと切に願っていることばかりです。写真を撮って誇大表現をすることが目的とされがちな現代で、リアルを楽しむことに終始する人間は、ほとんど絶滅危惧種と言っても良い気がしていますし、これからその数はもっと減っていくのでしょう。

 だからこそリアルで楽しめる、スマホなんかじゃ到底体験できない時間を、どうにか提供したいと思っています。年末恒例になった夜会も、たまの気まぐれで開催する読書会も、そして毎週末開いている華金も、スマホと距離を取りたい、私の願いが込められている気がしてなりません。

 梅雨時期には梅が実り、紫陽花は程なくして枯れ、向日葵は思いの外長寿であり、鈴虫は雨の後によく通る声で鳴くということを、現代人のうち何割が知っているか、甚だ疑問なのです。

 珈琲屋で珈琲を味わうというのは、私にとってはライブであり、スマホの画面では得られない体験でもあります。
 街ゆく大人が家路につき、台所がその日の活動を終えた頃、世界は驚くほど静かです。見えない虫が季節を知らせてくれています。リンリン。リンリン。カナカナカナカナ。

 松伏の夜は、とっても賑やかです。

 華金。