2025/02/07 18:02

 

 天邪鬼。

 さて、読めるでしょうか。

 天邪鬼。

 あまり普段から使う言葉ではありませんし、目にする機会もそう多くないはずです。

 「天邪鬼」
 「あまのじゃく」とは、本心や他人とは逆の行動や言動を取ってしまう人のことを意味する表現である。

 なるほど、天邪鬼はあまのじゃくと読み、おおよそ捻くれ者のことを指すのだな、と。かく言う私も、どちらかといえば天邪鬼と言われることが多い質で、その度に、自分は天邪鬼じゃない、と真っ向から否定したくなるものですが、やはり心のどこかで天邪鬼であることをちょっとばかり自覚しているからこそ、いよいよ本格的に反抗したくなってしまうものなんだと、第三者ぶって分析してみたりするわけです。

 自らが天邪鬼であるかという議論は、到底私一人ではできなさそうなことであるので、少しだけ簡単なテーマにしてみましょう。

 「自家焙煎珈琲、と書いた幟旗を作った方がいいんじゃない?せっかく自家焙煎なんだし、もっとアピールしていかないと。」

 庭珈琲のオープン当初、幾度となくかけられた言葉です。
 きっと親切心からくるアドバイスであり、きっと私を応援しようと思って伝えてくれたことであり、きっとこの言葉をかけた当人に悪気はないのでしょう。これは非常にありがたいことですし、お客様という立場からアドバイスを頂けるというのは、一つの財産であるともいえ、またお客様という立場から見ているからこそ、率直で忌憚ない、見たままのアドバイスを下さるので、あれもやろうこれもやろうと日々悶々としている私には考えもつかない(それでいて、ずっと視界の真ん中に存在し続けてもいて、もはや景色となってしまった)課題を浮き彫りにするきっかけともなるのです。
 中には(いえ、そのほとんどは)有益なアドバイスがあり、すぐにでも実行すべきものを多く含んでいます。コースターが欲しい、メニュー表が欲しい、ミルク系のドリンクも欲しい。これらは実際に頂いたアドバイス(ご意見?)なのですが、今回のテーマ、自家焙煎珈琲と書いた幟旗については、実際行動に移すのに、かなり抵抗がありました。

 これは誰を攻撃するわけでもなく、何か具体的な想像をしているわけでもないのですが、本気で珈琲屋をやっている店は、焙煎からやっていて当然だと思うんです。焙煎のプロセスを見ているからこそ、最適なドリップをすることができますし、品質の保証だってできるはずです。焙煎をせず、ともすればドリップすら機械に任せてしまう店は、珈琲屋と呼んではいけない気すらするのです。確かに、自家焙煎、と書いてある店の方が入りたくなる気持ちもわかります。分かるのですが、件の天邪鬼が部分的に発動されるというかなんというか、自家焙煎なんて当たり前なことをわざわざ大っぴらに書いているということは、それくらいしか誇れるものがないのではないか、と考えてしまうのです。
 当たり前のことを大々的に書き、響きの良い言葉で誘引するやり方は、どうしても好きになれないのです。自家焙煎した珈琲を出しているのは、珈琲屋を営む私にとって至極当然のことであり、それはヒトが二足歩行をしているということや、太陽が東から昇るということと、なんら変わらない、ごく自然で当然の成り行きだと思うのです(二足歩行の店主がいます、という幟旗を出している珈琲屋を、私は見たことがありません。当然一人の大人が珈琲屋を営んでいるだろうし、当然大人は二足歩行だろうと誰もが推測し、当人も二足歩行であることがほとんどであるはずで、わざわざ幟旗に、二足歩行、なんて書かなくても、当然店主は二本の足できちんと立っているのですから)。
 焙煎って難しそうに見えますし、事実結構(いえ、かなり)難しいです。ゆえに自家焙煎というと、なんとなくこだわりを持っている感じがしてしまうのでしょうが、珈琲を仕事にする人間としては、難しい焙煎を行わずして珈琲屋はできないのではないかと思うのです。焙煎は難しいけれど、それを大きな声で言ってしまったり、商売の道具にしてしまうのは、違うのではと思うんです。

 結局背に腹はかえられないということで、渋々、自家焙煎珈琲、と書いた幟旗を作って店先に並べているのですが、これはこれでまぁ集客に役立ってはいます。不本意ではありますが、認めましょう。役立っています。とても不本意ですが。
 幟旗を置いてみて分かったことは、自家焙煎という言葉のパワーと、目の前を通る車からも、営業しているんだ、と直感的に理解していただけるという視覚的なメリット、後片付けの大変さくらいです。
 いずれもやってみなければ分からなかったことでしょう。

 やってみなければ分からない。
 天邪鬼は、とりあえずやってみることを大いに嫌います。

 先日、ブラジルのお豆をサンプルで仕入れてみました。
 ブラジル。珈琲大国であることは言うまでもありませんが、珈琲大国であるが故に、ちょっと(いえ、今回ばかりは認めましょう。とても、かなり)避けてきていました。なんとなく他のお店と被る感じがするし、少しでも変わった国のお豆を取り扱ってみたいという、天邪鬼な店主のわがままです。
 実際に届いた生豆を開封し、サンプルで焙煎。特徴も何も分からないので、ごく普通にハイローストで焙煎をストップ。流石に当日中に飲むわけにはいかないので、3日ほど寝かせてから味の確認。いつも通りドリップしてみましたが、得られたのは若干のパサつきとロースト感。感想はといえば、これが好きだと言う人もいるだろうな、くらいなものでした。一口飲んで、あとは惰性で味の確認。冷めるまでは一通り味の確認をしないと、万が一美味しい温度帯があったら勿体無いな。そんな軽い気持ちで確認を続けました。ブラジルは珈琲大国。生産量が多い分、品質はあまり高くないだろうと思っていたので、特にがっかりはしませんでした。
 ところが冷め始めてから少しした頃、突然ナッツのような甘さと一緒に、シルキーでチョコレートのような滑らかさが現れました。
 慌てて口を濯ぎ、再度確認。間違いない。これは美味い。
 今の味を参考に器具の調整を行い、もう一度ドリップをしてみます。
 一口目は相変わらずのロースト感。パサつきは無くなりましたが、やはり物足りない。その後冷め始めてから味を確認すると、またもやあのおいしさが襲ってきます。こういう時の答えは、決まっています。

 エイジング。

 焙煎後しばらくコーヒー豆を寝かせることで熟成が進み、ざっくりいうと、美味しくなります。
 結局もう3日ほどエイジングを進めてみると味わいは開花し、ブラジルの魅力に気付かされることとなりました。珈琲大国、恐るべし。
 天邪鬼なままブラジルを避けていたならば、きっとこの魅力に気づくことはなかったでしょう。何かを学ぶ謙虚さが私の中に少しでも残っていると分かり、ほんの少しだけ高揚しました。

 かくして、今回仕入れたブラジルは、今月のコーヒーとしての立場を得ることとなりました。


 ナッツ感溢れる甘さと、黄桃のような芳醇さ、そして絶妙に残る酸が味全体を引き締める、なんとも珈琲らしい一品です。
 店頭でも扱っておりますので、ぜひ皆様一度お試しください。

 天邪鬼。

 悪いことばかりではないと思うんです。